鈴木史さんの告知を見て、三谷蒔「ありのままの事実に対する抵抗」。
たいした感想をその場で言えなかったのでメモを。
レースのカーテンに仕切られた空間は、祖父の創氏改名についての話から始まる。ハンガーにかけられた祖父の遺品のジャケットと対になるように、床に折り畳まれた祖母のものを思われる衣服がある(それらを同時に見るのは困難なようにレースによって視野を狭められている)。
その奥の部屋。民家そのもの。ちゃぶ台の上のレコーダーに吹き込まれたテクストはヘッドフォンなどないため、一人で聞くこともできれば皆で聞くこともできるが、それはテレビの上のリモコンのようにチャンネル権が訪問者の(家族の)誰かに与えられているものかもしれない。一方でテレビには『東京裁判』の「あなたは有罪か無罪か」「無罪です」というやり取りが女性の口元(顔全体はピントとフレーミングによって見えない)を中心に映され、ひたすら同じカットバックが繰り返されている。それは映像そのものを見るよりは、ちゃぶ台から聞こえるテクストの音声と並行していくことで意味は生じてくる(日本が朝鮮に対して行った侵略とジェンダーの問題が大島の名前を出すまでもなく結びつき、それは延長でもあり切り返しでもある)。夜になっても灯はつかない冷え切った空間に温もりはない。
そのさらに裏、台所、洗面所、水回りには過食症をめぐるテクストと、一方でバケツを両手に持たされた女性の長回しが繰り返されている。片手だけバケツを落として一瞬顔は和らぐも、残されたバケツの重さに耐えられず硬直化していく。両方を手放した後の安堵の顔が映る間もなく、ふたたび最初の画面へ戻される。会場の地べたには彼女の着用していた民族衣装ともウェディングドレスともとれる衣服が脱ぎ捨てたままのように置かれている。

bunkaunion.com