オリヴェイラ永遠の語らい』の多言語の会食のユートピア的とも皮肉にもとれる、夢のようでいてギンギンに冴え切った感じだが(『ドライブ・マイ・カー』なら到達点として設定されるのだが)、イーストウッド『クライマッチョ』の言語の壁を越えるのは、やはり物語上のステップを踏んだ上で辿り着ける奇跡というか、どのような受け止め方でもいいから一応は観客に(納得されなかろうが冗談と思われようが)届くだろうという踏み越え方を(少しも力んだ調子ではなく)しているけれど、この感じに一番近いのは『ヒア アフター』のラストなんだろうか。あれに近い霊的な力が働いたような(電流の走るような)、でもこの種の飛躍は見ているようで、なかなかお目にかかれない。保安官補の太っちょはリチャード・ジュエル君のようで、今回は奥さんの尻に敷かれているんだろう。犬の寿命の話も思い返すとせつない。『運び屋』のイーストウッド逮捕の次に、やはりアメリカ人がメキシコへ旅立つのは生前葬的な意味にも感じてしまう。