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エリザ・ヒットマン『愛のように感じた』。『17歳〜』にもあった移動する車内の反射と映り込みが、ビー・ガンかゲリンがやったように激しいとか、言えるかもしれないが、それとは別に美しくなく、ただ攻撃的。ラング『リリオム』や『暗黒街の弾痕』に見た男の道連れになることを自ら選ぶ女の物語もよぎるが、それを選ぶのはあまりに酷な年頃。そのズレが成長談や悲劇や目覚めとは異なって、ただただ傷であり消失である。白塗りの顔と仮面の舞台に挟まれて、彼女の話は教訓でさえなく、そこに「感じる」ことから距離が引かれている。『17歳』のヤジが飛んでくる冒頭から期待した学園コメディの予感が容赦なく破壊されるように、エリザ・ヒットマンは「異化効果」の作家なのか?(『プロミシングヤングウーマン』はより露骨だが)。
最後の失われた表情をもってブレッソン(確かに佐々木敦氏がその名前を出したのに僕も引きずられている)やユスターシュやドワイヨン、曽根中生(非行少女は取り返しのつかないことになる)といった名前を連ねて済ませていいのか。先達の語る困難な方法(「ファーストカットなど犬に食わせろ」)を語る演出家にエリザ・ヒットマンは、たぶん見えない(それさえも男性的な振る舞いなのか?)。ブレッソンのインタビュー本に繰り返される「大いに即興をやるつもりだ」というフレーズも思い出すが、エリザ・ヒットマンが「即興」の演出家なのかは知らない。