『空に住む』(監督:青山真治)

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久々に監督と主演の名前くらいしかわかっていないまま見た。これまでも『月の砂漠』とか『こおろぎ』とか『赤ずきん』とか、存在を知ってから見るまで時間がかかってしまった映画はあるけれど、今回はいつの間にか出来ていて、すぐに見た。そんなのは一観客の主観に過ぎないのだろうが、どんな映画か見るまで想像したり考えたりする時間はなかった。予告編さえ見ていなかった。それでも7年前に作られていた映画を、ようやく見れたような気分になるのは、古びているという意味では全くない。これは何だろうか。廣瀬純さんが書くように、原因が見えないまま結果だけがいきなり出てきたということなんだろうか。いきなり始まって、これから何が起きるのか、よくわからないまま見続ける。こんなに次に何が起きるのか(起きないのか)想像できない映画は初めてかもしれない(ペットドクターが最後に言うことのまんまなのか)。まぎれもなく多部未華子が主役なのに、それ以外は誰が大事なのかわからない(いやそれ以上に猫なのだろうが)。エレベーターで一緒になった男と恋に落ちるのかさえわからないどころか、それはやはり恋じゃないのだろう(岩田剛典がクレジット上から四番目の名前で、妙に相手役とは言い難い印象そのままだった)。それが愛のないセックスという紋切り型の表現が相応しいとも思えない(そこがつまり大人の映画か)。屋内の猫(人間じゃない)、女性の転居から始まるあたりが、それは神代辰巳いまおかしんじを初めて知った時の、これがロマンポルノやピンク映画というものなのかと驚いた時の記憶に近い。別にセックスするからではない。身体と心が切り離されたものだというような男女の会話が、ひどく響くのも、そのせいだろう。だがそれがロマンポルノやピンク全てを指すものではないと、すぐに感じ、色褪せていったが。(その感覚の正体を堀禎一は別の形で引き継いでいたのだろうか)。しかしこれは「転居」ではない、ホテル住まいでもない、放浪でもない、これ以上ないくらい「宙ぶらりん」だった(撮影が中島美緒という女性カメラマンなのも印象に残った)。その室内も、なんだかんだ妙に映画の記憶と結びつく石垣(イニスフリーか?)があるからおかしいし、誰も飛び越えていないはずなのに、常に誰かジャンプして陰に隠れていたような気がしてくる。風の音も時にワイングラスどころか窓が割られてしまったようだ(そこが実はかつて『悪魔の部屋』だったかもしれないような)。『月の砂漠』の柏原収史と違って、今回の岩田は年相応の相手と関係を持つ。なぜか江角英明のように、声だけでもハッとさせる永瀬正敏。そんなことばかり思い出しても仕方ないのだろうが。ともかく「現実に戻る」。いや、それが映画である以上、見ている間に「現実に戻っておいで」と言われても、その合間合間のジャンプカットが現実に引きずり戻してくれるわけではない。ただ「現実」という言葉を映画で聞き続けるような、浅い眠りで貫かれたような映画、と今は言葉で誤魔化しておく。とにかく愛おしいとか、そんな言葉で済ますのさえ勿体ない。