蓮實重彦コメントの『人数の町』(監督:荒木伸二)を見る。時制や視点が行ったり来たりして進んでいないような錯覚。それでいて大筋の先は読める。そして収まるべきところに収まる。目の前にいた人物の消失とかベタ過ぎる繋ぎかもしれない。映画が長く感じる原因にもなっている気はするが。それでも飽きずに見れた。
明らかに『アルファヴィル』『未来展望』にシャブロル『ドクトルM』を味付けしたようなセンター。着衣のままのセックス描写、艶めかしさはあっても興奮させないベッドシーンを経て(避妊具は完備され妊娠は許されない)、そこからドラマは発展しない。プールにビキニという、商品というかCM的な「エロ」だが。CMの仕事をしてきた呪縛か、それへの批評か、混ざり合った居心地の悪さ。相対的に最もセックスアピールの激しい女性(彼女がプールに向けて風船を投げると男たちが寄ってくるシーンの無機質さ)には娘がいたものの、入所時に隔離された(親子は必ず引き離される)。そこへ彼女たちを探しに姉(石橋静河)がやってくる。血縁者は案外調べを受けかずあっさり入れる。登場したときよりも収容所慣れしてきた男(中村倫也)がプールで「挨拶」しようと近づいたとき(観客としても)その「挨拶」という行為に織り込まれた、もう男女どちらの意思も関係なく存在するらしい挨拶→セックスという流れ(しかも「義務」ではない)がおぞましい。このおぞましさに始まって、中村が石橋とキスするまでの流れには、増村保造の人物を目指そうと腹を括ったような感動がある(広告業界だからといって『巨人と玩具』ではないけれど)。