『苦い夜』(99年 監督:森﨑東 脚本:佐伯俊道)

 
BS日テレの『苦い夜』(99年の火サス)を録画。
青山真治監督『EM エンバーミング』と『ユリイカ』の間に松重豊が森﨑の妖怪じみた人物(『地獄の警備員』の容疑者というより怪物)として登場して涙なしに見れない場面へ(「つけていました」)持っていく。
おそらく森﨑東にとって『帝銀事件』(80年)の変奏であり、ただし今回は冤罪の(とはいえ一人刺殺しているのは間違いない)永島暎子はあっさり収監され退場し、渡瀬恒彦は絶えず消えない疑いとともに被害者でありながら刑事の側に回ったかのようにさまよう(特に階段と電話機が終盤まで彼の疑いに強く働きかける装置になる)。獄死は別の人物の自殺というかたちで執行される。しかし渡瀬が徐々に刑事へ変化していくなんて作劇にはしない。渡瀬の口調は最初から「刑事」といえるんじゃないか。その刑事らしさは永島暎子松重豊大杉漣と次々と罪を問われ容疑者と化していく人物たち共々「責任」の問題として浮上する(それは『野良犬』における渡哲也の刑事と比べられるのか)。その問いが大杉漣から発せられる時の、伏線としては過剰すぎる唐突さ。ここへ金銭問題、忘却、味覚、「女」など森﨑の森﨑たるネタが当然のようにぶち込まれ連鎖する。
大谷直子が『氷壁』か『妻は告白する』(増村なのか新藤なのか)を思い出さざるをえない話で(そこではやはり回想など使用しない)渡瀬の記憶に揺さぶりをかけるとき、はたして渡瀬と大谷はどちらが刑事で容疑者なのか。ラスト、渡瀬は面会のために弁当をもって刑務所へ歩いていく姿に罪と責任の影は消えない。どこかの夜が違っていれば、二人組のどちらが主犯であり、どちらが死ぬのか交換されたかもしれず、そもそも渡瀬恒彦が刑務所へ入る可能性もありえたのか(『喜劇 特出しヒモ天国』のように元刑事が刺し殺そうとするような)。それとも刑事と容疑者以上に、男と女の立場は絶対に交換できないのか(酒を飲んで死ぬのは男、包丁を手にするのは女なのか)。あのレストランで渡瀬は人殺しの男であり、大谷直子は「女」である。『透明人間』の遥か上を行く過激な宙づりのラスト。電話機が高橋洋を経由して『呪怨 呪いの家』を連想させて興味深い。