『パラダイス・ロスト』(福間健二)

いつかちゃんと感想を書きたいと思いながら放置してしまっていた。
若者と女性の相変わらず聞いてて恥ずかしくなる台詞……決して悪口のつもりではない……と書いても白々しいかもしれないが、これが映画だと胸を張って言えなくても、これが福間健二だと明らかに言える。
言葉ははっきりしている。しかしそれは(最近ようやく見た)メカス『樹々の大砲』の耳を衝くアフレコの声の強さ、容赦なさとくらべてしまったら、どうしても甘く聞こえる。

いきなり今はなしている人物の背後にある誰も見ていないはずの絵画が、まるで彼女を見つめているように切り返される。

カメラがわざとらしく人々を中心に据えることをやめて、まるでそれがもういない幽霊の主観ショットだったかのように見える。その人物のいなくなった余白に幽霊が逆に入り込む(幽霊の客観ショット?)。カメラが走り去る男女を追うのを諦めたかのように動きを止める(『一度も撃ってません』では逆に映っている人々がもう動くのを諦めかけているように自ら止まりだし、カメラは徹底して追う。それを逃れるのは朝帰りの酔っぱらいとUFOだけ?)。いまはまだ喋っているはずの人物さえ、映画ではフリーズしてしまったり、暗転してしまったりする。それは映画が人間の動きに、世の動きに付いていくのを、いずれ諦めるという予感かもしれない。その諦めは幽霊の存在と切り離せないだろう。
この幽霊はかつて瀬田なつき『とどまるかなくなるか』で見た気がする。とどまるかなくなるか。この生が死へ転びかねない危うさ。『パラダイス・ロスト』はその危うさよりも、いずれ舞台から去ってしまうことを宿命づけられた人間らしい、弱さとも潔さともつかない「諦め」があるかもしれない。もはやとどまれない。なくなるしかない。
若々しい映画ではないが、徹底して若者の側にいたいという感じが、しかしみっともなくない……たぶん。これは重要なことだといずれ本気で身に染みる日が来るんだろうか。