『ピンパン』『ライセンス』(監督:田中羊一)

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シネマ・レガシー vol.1

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ピンパン』も『ライセンス』も、『そっけないCJ』の夏休みの愛しさや切なさと比べて(あまりにグッときて素直に良いと言えないままの『ヴィレッジ・オン・ザ・ヴィレッジ』と同じく、あんな映画を誰でも一度は撮ってみたいと『キングス・オブ・サマー』よりずっと身近で大事に思うんじゃないか)、女性の物語として面白いのかはわからない。卓球台をめぐるマシンのいくつかに向けた目のように、彼女たちに関する、もしかすると想像の域を出ないマンネリなだけの出来事が、すべて異物として見える。そこに驚きや発見があるというわけではなく、ただ卓球とゴーカートと女性の生活が並置される。文字がタイトルや標識の一つとして、まるで違う国を見ているような、というより言語の通じる国の外から見ているような距離が一貫している。しかし『CJ』シリーズのように秘密基地を作れるわけでもない。映画からやってくる言葉は球や道具のようには役に立っているが、映画を見た自分からはたいした言葉が出てこないことが、『ピンパン』の卓球と同じくリズムに組み込まれてしまうような。ひたすら勝負の姿勢に徹していて潔いけれど『ピンパン』には居心地悪さ、身の置きどころのなさ、『そっけないCJ』『CJ2』にあったモノローグ後の余韻に浸りたくても出来ない寂しさもある。

田中羊一監督について、あるかたが『CJシンプソンはきっとうまくやる』と『少女ムシェット』の最後が重なったと話したことを『ライセンス』見ながら思い出した。彼女たちの佇まいと、ブレッソンの名前を繋げたいわけでもない。ただその記憶に映画もヒロインも救われたような愛しさが『ライセンス』にはある。『ピンパン』の15分より『ライセンス』の5分の方が好きだ。何様だと自分でも言いたくなるが「わかるよ」と、どれほどの距離があっても一周して声をかけたくなる。いつか『CJ』シリーズと『ピンパン』『ライセンス』を一緒に見たい。