スリー・ビルボード』。監督が北野武のファンと聞いていたせいか、牧師との切り返しあたりでピンときて、あっさり続く歯医者のシーンから『アウトレイジ』シリーズへのオマージュってやつが捧げられる。スコープサイズにおさめられた人物たちの面構えや、彼らのスラングの応酬(看板に書いてはいけない文句ばかり)、そして切り返したら目の前に現れている人(鹿に向けてフランシス・マクドーマンドがそんな感じで呼びかける)、特にトイレから出てきた元旦那の恋人なんか笑った(「シリアル頭」のくだりもいい)。
アウトレイジ』でありながら「全員悪人」の話にはしない。『アウトレイジ』での暴力の連鎖に対し、あえて道徳的な主題を設定するあたりに退屈さよりも志を感じた。どうにも肝心の火災が起きてしまった二つのシーンなど見ていると、あのシリーズの良さは「よくできた話」なんか絶対に必要としていないところなんだと、随分うるさい映画に感じる。あと絶対に釣りのシーンを見て、後半ウディ・ハレルソンじゃなくても誰かの目の突かれる、くり抜かれるんじゃないかと予感したが外れた。別に外れるのはいいけれど、その瞬間を見れるのではという恐怖さえなかったのは『新感染』の頭部破壊のなさと同じく不満だ。
そして暴行されて死んだ少女と、警察署の火災といえば、僕程度の人間でも、私刑を扱った映画になるんじゃないかという予感がする。このあたりもずらされる。そこに鶏と人間を重ね合わせる『激怒』みたいな容赦なさが足りなかったのか、あえて私刑をおこなう側と(どちらかというと)集団に溶け込めない男女の側を重ねることに志があるのか、それとも批判されるべきなのか。
最後の「あんまり」という会話は嫌いじゃない……よく考えたら『キッズ・リターン』ぽいというか、ある時期までの北野武のファン丸出しな終わりだが。
つまりフランシス・マクドーマンドには申し訳ないが、この映画のところどころコーエン兄弟への意識が好きになれないんだろうか。サム・ロックウェルの保安官バッチが出てくるところはよかった。