『きみなしで生きてみよう』(11/10)

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須賀彬太・統原直樹、そして『蘇州の猫』の内田雅章SVによる『きみなしで生きてみよう』と「中原昌也白紙委任状」の時期が重なっているのは重要かもしれない。どちらもが徹底的に「キワモノ企画」の精神を持っていて感動する。内田雅章監督『蘇州の猫』を見た人は簡単にダニエル・シュミットの名前を思い出せるけれど、『きみなしで生きてみよう』は『蘇州の猫』以上に『ラ・パロマ』のいかがわしさを放っている。それどころかシュミット以上に、最後の最後に思い出した映画があったが、さすがにそれは言えない。でも第一幕の「採用です」から何度も『蘇州の猫』を思い出し、いや、『蘇州の猫』が帰ってきたんだと興奮して、そんな瞬間一つ一つを書いてしまう不粋な真似をしたくなってしまう。そう、この作品は僕みたいな不粋でしかない人間を徹底的に煽っている点で「キワモノ企画」である。『蘇州の猫』をリアルタイムで見ただろう映画美学校の人たちと縁も何もない、ただのオタク未満の半端モノのくせに、平気で『蘇州の猫』の名前を口にしているのである。これは『きみなしで生きてみよう』の男女のような嘘もつけない群衆らしい振る舞いなのだろう。
それでも書くなら第二幕の「出会って10年後」を演じる男女を見ながら自然と微笑んでしまった。僕は安易に『秋日和』の中村伸郎三宅邦子の夫婦か『あなたの微笑みはどこへ消えたの』の名前なんか出してしまいそうになった。しかしその微笑みがいつの間にか通用しなくなってからなのだろう。本当のところ反吐が出るほど当事者意識なるものを欠いた嘘くさい感動話なのかもしれないが、しかしこれほど劇中の台詞の通り、奇跡でも悲劇でもいいから見たくて仕方ない世界に捧げられた話もないかもしれない。
とにかく照明が鬼のようだ。高低差の演出も、舞台装置も、役者の声も動きも、僕のようにキワモノに踊らされる人間を嘲笑っているくらいなんじゃないかというくらい、言葉にできない。必見としか言いようがないが、見逃してしまった人間以上に、見た見た騒ぐ人間が恥をかくくらい慎ましい佇まいの傑作だと思う。それでもこれほど見たか見なかったかが記憶に刻まれる作品に、今後出会えるかというくらい、いかがわしい。