誰もが言うことだけれど『草叢』は『宙ぶらりん』の美しい出発を画にするカーテン、鏡、そして自転車が引き継がれる。しかし自転車は姿を消す。これも誰もが言うことだけれど自転車はジョン・フォードの馬のように、生き物であって時に飼い主の意思と関係なく姿を消す。盗まれてしまった相方を探しに駐輪場へ向かってからの、なぜだか駅前の駐輪場も放置自転車も、美しさとはまた別に心動かされる。無数の自転車が贅沢なくらいに喪失感を喚起させる。自分たちにあったかもしれない可能性のひとつひとつが馬になり自転車になり移動機関になり生き物になる。しかし彼ら自転車たちは私の心がけとも無縁に存在するただの自転車でもある。
そしてちり紙交換の声が聞こえてきて、その声の主に先に観客である自分が気づいてしまったように思わせてくれてから、彼女がちり紙交換の男と再び声を交わすまでの数秒がまた、あの自転車を探したわずかな時間と共に愛おしい。