6時頃帰宅。

イメージフォーラムにて『夜風の匂い』(フィリップ・ガレル)。

早稲田小劇場にて『CHITENの近現代語』。映像もしくは再生される音源ならば容易におこなえるコラージュ、モンタージュ、一時停止、反復などを舞台(密室)での上演に置き換える行為の意義こそ地点の面白さだと思う。さらにいえば上演を見聞きすることも含まれるので、単純に台詞ごとにカットを割るような舞台中継で見たら面白さも意義も途端に失われてしまう。発声する側、それを見聞きする側、どちらにとっても返ってくる何かがある上演。特に言葉が発声によって音楽と意味とに引き裂かれるような状況が、いくつもの映像をオーバーラップさせたようでもあって、映画にも返ってくるものがありうると思う(何度も言及するのは気持ち悪いが、ゴダールやリヴェットのリハーサルと結びつけた『人間のために』は試みの一つだ)。

DVUで書いた文章を読み返して、困ったことに「あの頃のほうがよかったな」と思ってしまった、ついに。