尾身美苗、牧唯[Frame] Dance Vision 2015 7/8 @KID AILACK ART HALL

Dance Vision 2015 7/8 @KID AILACK ART HALL
[Frame]
ステージ奥の壁が一面丸ごと開け放たれて窓と化し、外の光景が見えたまま演目が始まる。路上に佇む踊り手の姿に気づく。踊り手と観客が街中にさらされたのかもしれないが、劇場前を横切った人々が観客の視線にさらされているようでもある。ある人は舞台に目を向けながら通り過ぎ、ある人は足早に通り過ぎ、目を伏せる。じろじろ見る人も、目を合わせようとしない人も含めて、街頭にカメラを向けた時を思い出す。フレームで切り取られた光景を前に、自分の目がカメラになったような興奮。しかし路上を横切る踊り手を見る、別の視点がおそらく存在するのだろう。...
最後列に座ったせいか、フレーム内の路上から舞台に入ってきた踊り手に対し、ある程度の距離感をもって見られたのは、かえって良かった。フレームが徐々に溶け出していく。プロジェクターが彼女の白い衣装と身体にだけ映像を映す。風景に対する意識も含めて『東京战争戦後秘話』を嫌でも思い出す瞬間。もしもこの演目を見た観客から聞いただけなら、たんに身構えていただけの試みが、演目全体からの、何より尾身美苗さんの身体、表情から伝わる無垢さによって不思議な幸福感をもって受け止められる。唐突に現れるぜんまい仕掛けの子犬たちとともに四つん這いになる、ほとんどタモリの産まれたての子鹿の物真似スレスレだが、玩具と狂的に同調する彼女の幼さが魅力的だ。フレームの存在と、そのフレームに対して意識的にか無意識にか(もしかすると怒りさえ込めて)抵抗する動きからは、「自由」を感じる。(映画で言えば鈴木卓爾の名前がよぎる)。おそらくフレーム内を横切っていく通行人から自動車、雨にいたるまで、一つ一つの動きがこちらの視線に対し抵抗しているのだろう。子犬があと一歩で舞台から路上へ落ちるかと思いきや、わずかな段差によって前進できなくなる。この段差が最も印象深いフレームとなって、風景に見えない膜を張る。
やがて壁は手動で引かれ、閉まっていく。これまでわずかに踊り手の身体に反射していた映像が姿を現す。公園に置かれた、地味な額縁のような、白い枠。後景にわずかに見える小さな人や犬の姿は味わい深い。スクリーンではなく黒い壁面に映されたことによる不鮮明さが、それまでの外景を切り取る窓と異なる点か。さらにもう一台のプロジェクターから投射された映像(その一つはおそらく移動する電車の車窓から撮られたもの)と音響が重なり合って、フレームは滲んでいく。もしかすると壁には「映画」がふさわしかったのかもしれない。それは既成の映画からの引用ということではなく、それまでの外景(窓)と匹敵する意思のある、フレームの存在を印象づける「映画」と呼びうる映像だ。(と言いつつ、具体的なイメージは思い浮かばないが)。
終盤、ふたたび壁は引き、窓は開け放たれ、彼女は舞台からフレームの中へ身を投じる。外景にさらされた状態のまま、やがて音楽も止まる。偶然、自動車のエンジンをかける音がした。フレームの内外から聞こえてくる街の音に対し、少しだけ繊細になれる時間の爽やかさに気づく。ジャン・クロード・ルソーの名前を一瞬、思い出した。

 

Dance: 尾身美苗

Music: 牧唯(Aprl)

Costume:西村有里子(Minor Mishin)

【 ≪人間の条件≫では「窓」というモティーフが介在していることも留意すべきだろう。我々は窓が外の世界を見るためのものであること、

換言すれば、窓という目を通じて世界を観察することができるということを前提としている。 (René Magritte -美しい虜-キャプションより引用)】

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