土本典昭『日本の教育1976 少年は何を殺したか?』@座・高円寺
「異常者による犯行」とする学校側に対して、画面に決して映されることのない少年への距離を測りながら映る、土本以上に彼と近づくことになる高校生、同級生たち、レコーダー、水、煙、壁、窓、田畑、高校への一本道、暗い廊下、列車、集団移動、教師、女優の写真、新聞紙、遺影、取材中の沈黙、食事、無表情なビル、日本国旗のロングショットなどを経て、ときに問題点が切り返され(本当の動機かはわからないが、成績評価と生徒会選挙の結果の結びつかなさが生む分裂など)、見えない少年の姿が特に高校生たち(さらには小学校時代の同級生、道端で遊ぶ小学生たち、被害者の写真など)を通して、その影は映されていく。湯治場にて少年の健康状態が語られるカットは美しくも視野を妨げる湯煙と、水俣の患者たちをどうしても連想させる、階段をのぼる彼についての言葉の組み合わせだけでも何やら胸に迫るが、そこからさらに事件直後に森の中を駆ける彼の主観カットへつなぐ。