小沼真也『ユートピア』@法政大学Ⅱ部映画研究会

今日は母校(法政)の学祭で『ユートピア』(小沼真也)が見れてよかった。今すぐ学外で見られるべきかは正直躊躇するが、可能性を感じる。合宿の二日間で撮影されたことによる荒っぽさはあるが(特に俳優のアップのいくつか。照明が原因。ただし後半のヒロインの横顔はいい)、その分勢いもあり、これは監督だけではなくスタッフの村田潤、諏訪亮太、キャストの加藤園子、斎藤瑞輝の組み合わせもあってのものだと思う。彼らの今後に期待したい(ひどく上から目線で申し訳ないが)。

法政近辺(飯田橋周辺)で撮影された序盤にはあまり期待できなかったが(最初の数カットという一番重要なところで失敗している気はする)、舞台を(撮影合宿先へ)移してから変わっていく。飯田橋から突如、旅先のバス停に到着した男女が(観客にその理由を提示しないまま)一度反対側の通りへ(フレーム外へ)消えたのち、駆け足で再び戻ってくる長回しのフィックスのショットと、それから続く男女が民宿まで歩いていく数カット、このはっきりとは物語に貢献しているかわからない停滞した時間の流れによって作品の空気が決定づけられる。民宿に到着...してからのヒロイン(加藤園子)の佇まい、特に「花火」と言いつつほとんど線香の束を焚いているようにしか思えない地味なカットでの声には、本作がいかに彼女に支えられているかを感じさせられる。森に向かう女とそれを追う男のいくつかの長回しにははっきり言って嫉妬した。ふたたびバスに乗った男女の席の位置を示すワンカットだけで、この旅を締めくくるのは間違っていないと思う。民宿に到着してから男女がただ座っていただけのカットの時点から、変わってしまった二人の関係が示されているからだ。映画全体で携帯電話が果たしている役割もそれなりに考えられている。『ユートピア』という意味ありげな印象を受けるタイトルが相応しかった作品かはさておき、その理由があっさりしているのにも好感を持った。この単純さが今後失われないことを祈る。

パンフレットの自己紹介で最も好きな映画(という意味だと思う)が『マッドマックス』というのが意外で、さらに本人と話したら「早く2が見たい(今度の新作ではない)」という返事の天然ぶりにはどう返したらいいかわからなかった。ただすでに画面外、フレームの外を意識させたいという欲求を聞いて、正直自分なんかよりずっと素質はあるのだろうと思う。
僕が大学にいた頃は学内での横のつながりが重視されていたが、おそらくそのようなしがらみがなくなってから、映画美学校に入学して初等科の作品で主役を演じた後輩もいて、そのことが良い方向に反映されたのかもしれない(これはスコリモフスキ、ウルマー、ルソー……といった一時期の内山君の上映活動にも言えると思う)。学外の人間には知ったこっちゃないだろうし、そのことを卒業しているくせに今でも長々と書く自分は相変わらず成長できていないことを感じさせられ落ち込むことばかりだが……。