『旅役者』(監督:成瀬巳喜男 1940年)

www.shogakukan.co.jp

以前は夜勤明けで見たせいか目が覚めたらラストの暴走で唖然とし、そのまま見たような見ていないような状態で放置していたが、ようやく。
尾上ならぬ中村菊五郎一座で馬の脚役を演じる藤原釜足(前足)と柳谷寛(後足)。「菊五郎」の名に騙されたと怒った中村是好によって被り物の頭部が破損、提灯屋に修繕を頼むも「狐が化けたみたいな」結果に藤原釜足が気に食わず揉めている内に、なんと本物の馬が舞台に上がるようになってしまい、挙句、馬の世話を任されそうになるほど、彼らの一座での立場は危ういものになる。
料理屋の女たちを前に出来損ないの馬の衣装で屋外を駆け回る終盤、三年後に『歌行燈』(43)の森で舞う山田五十鈴のカットを連想したくなるようなカメラの動きで、偽物の馬の歩行を見下ろす。山田五十鈴と違って、馬の足を演じる藤原釜足と柳谷寛の芸を画で見れているわけでもなく(ただ二人の掛け合いは前足と後足の二重人格のように声だけ聞こえてくるのがまたおかしい)、そしてその芸自体が果たして(藤原釜足が意地を張るほど)感動するほどのものというか、少なくとも『歌行燈』の山田五十鈴を見るような輝きはない。それでも『歌行燈』と『旅役者』の馬を比べてどちらが凄いという話にはならない。やはり被り物の馬の暴走は感動的だ(馬の被り物が『山の音』の面にも通じているのだろうか)。歪な偽物の頭部と本物の馬の切り返しに、いかがわしい魅力が炸裂する。『歌行燈』の山田五十鈴に本物と偽物の境目なんか意味がないように、出来損ないの複製の被り物の歩行を見ることにカタルシスはある。「本物に偽物が演じられるか」と言わんばかりに偽物の馬が本物の馬を追いかける(『妻として女として』はじめ「愛人」「2号」たちと通じるかもしれない)。ヤケクソになっただけなんじゃないかという勢いで追い回す。誰もが『驟雨』の紙風船を瞬時に並べたくなるような、本当に自分が感動できるほど映画に追い付いていけているのかわからない結末だ。