『イメージの本』

『イメージの本』は「手」から始まる。それでも『映画史』からの再利用もあるだろうから、いま見聞きしている画も音も、もういつからあるものなのかわからなくなる。それだけが理由ではないだろうけれど、あたりまえだが「達人」の域さえとっくに超えていて、何らかの手つきを感じさせる隙さえない。『1、リメイク』から映像は黒画面も何かをぶった切ることなく、もう繋がってるかいないかどうでもいいくらいただただ続く(『大砂塵』からの『小さな兵隊』のアンナ・カリーナがやっぱりいい)。そしてやはり今更な感想だが画と声の怖いくらい果てしなく広がる自由を予感させる。それでいて作家たち自身による海に浮かぶボートのロングショット。今が黒画面だろうが電車だろうが、ボートは波を漂い続けてきたのかもしれない。誰がいつどこで何を撮ったかの署名もクソも訳がわからなくなってしまっても、何重ものミルフィーユ状の層の果てに映画は奥底に潜り続ける。映画にはデジタルリマスターとして保存されるより相応しい記憶の底へ朽ちていく生き方がある。『イメージの本』という頁は読む暇なんか与えずパラパラと閉じられる。それがパラパラ漫画なら見えた気になれたかもしれないようなイメージなんだろうか(なんてことでいいのか)。