12日

デヴィッド・ロウリーの『さらば愛しきアウトロー』を早速見る。『ピートと秘密の友達』のドラゴンや『ア・ゴースト・ストーリー』の幽霊たちに続き、ロバート・レッドフォードたちの銀行強盗も人知れず消えていくかもしれない存在だった。クライマックスになるかもと期待したヤマはあっさり、刑事の寝ている間に済んでしまっている。だからといってレッドフォードの犯行は省略されるどころか、一部始終が演出される。それでいて現場にいた大半の人物は事件を見ることができず、彼の手元だってはっきり見えないことがある。つい、何かあると別の映画を中川信夫と結びつけたくなる悪い癖があるが、これこそ中川信夫サイレント映画の批評家であったように、デヴィッド・ロウリーは誰もが見逃してしまう銀行ギャングによって過去の映画たちを批評している。レッドフォードをめぐる回想シーンも、そのエピソードが語られ、メモされ、読まれ、そして映されるときに初めて出来上がる夢のような気がする。彼をめぐる栄光とは、このように日が射すことによって初めて形になるのかもしれないし、もう一度語られることがなければ、そのまま存在さえしなかったかもしれない。画面の質感は、いつの時代を生きているかわからなくさせる。
そして96分をタイトに語りきるのではなく、どこか贅沢とも、弛緩しているともいえる時間が数々の会話や音楽とともに流れ続けている。『ア・ゴースト・ストーリー』の延長にあるともいえるし、ケイシー・アフレックの「優秀ではない」刑事が緊張感を奪っているのかもしれないし、そもそもシシー・スペイセクと初めて出会ったレッドフォードの車を修理できるようで出来ない(この点『運び屋』だけでなく『ハウス・ジャック・ビルト』とも比べたくなる)あたり、スマートさとだらしなさが共存している。エンドクレジットの徐々に消えていく名前たちのように、ある意味しぶとく終わろうとしないような時間が流れていて、これまでの映画たちを振り返るまでもなく非常に新しい。彼の伝説は映画が見せられない最期の時へ向かって終わることなく、あと四回かそのくらいだけ続くらしい。レッドフォードはドラゴンと同じく風のように、すり抜けていく。

 

14日

自宅にてウェス・クレイヴン『怪人スワンプ・シング 影のヒーロー』。終盤「離れていても心は通じ合う」といった、ウェス・クレイヴンのテーマを凝縮した一言が聞けて、とても感動する。にしても『壁の中に誰かいる』の10年前、すでにレイ・ワイズが出てきていて、この『ツイン・ピークス』との縁は何かあるんだろうか。