水下暢也『忘失について』

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水下暢也『忘失について』を買って、自分にはこんなに読めない漢字、意味を知らない単語が多いのかと驚く(大変失礼ながら作者の名前さえ最初は読めなかった)。現代詩手帖朝日新聞に掲載された作品を読もうとした時も漢字にぶつかった。それでも『忘失について』は別に読みにくくない。帯に書いてある言葉に読めない漢字は何一つない。そもそも読めない漢字、知らない言葉も躓くなら辞書を引けばいいんだろう。文字が頭の中で画になって浮かぶのを漢字が阻むのではない。むしろ「頭の中に思い浮かぶことさえできない画」、僕の貧しい体験がまだイメージできない「不可視」、あの映画や絵画を見る度に感じる「驚き」「不意打ち」を喰らうために、漢字が登場し、道を指し示す。それともタイトルにあるように、まだ見ぬではなく、忘れてしまったこともしれない。二度目三度目に見た映画の覚えていなかったカットに驚くことに近いのだろうか。

『狙撃者の灰色』というタイトルに惹かれて読んだ、やはりこれも3ページしかない短い作品であっても緊張感ある場面、家に入り込んだ誰かと、家にいた誰かとの出会いが、最後には不安とユーモアの入り混じった少年のアクションによって締めくくられる。映画で見たような緊張、アクション、サスペンスの1カット先の不意打ちとして、非凡な傑作でしか味わえないような時が待っている。