『体操しようよ』

菊地健雄監督『体操しようよ』、ざっくりまとめればシニア向け映画かもしれないけれど、たとえば『終わった人』のどうしても「余裕のある悩みだな」と60歳になった自分を想像できない人間からしたら羨ましいくらいの悪あがきは感じない。菊地健雄監督作にておなじみになってきた、物語上の同じ舞台にいる人物たちの前景と後景が入れ替わるような(内田吐夢を思い出す)話の構造によるものだろうか。ボーイスカウトと便利屋稼業や徳井優のクーデターからウェス・アンダーソンかと思いきや、子どもの世界へ完全に振り切りはしない(望遠鏡が良かった)けれど、それが視点を偏らせない。いくらでも展開を読めそうな偶然と、それによる父娘の諍いを、雨が変える(片桐はいりの佇まいに泣くとは思わなかった)。さらに主要四人を移動させるドライブ。そこに実際は娘と恋人が同乗する必然性は突き詰めたら存在しないかもしれないのに、それでもやはり一緒に乗っているのに感動する。
松竹大船調を模倣するスレスレで微妙に違う、現在の映画としか言いようのない、たびたび映る窓越しの緑、カーテン、風、海の音、光線が生み出す色彩、そして幽霊らしき視点。何より草刈正雄の皺と、声の震えも(偏った凡庸な趣味で申し訳ないが)『櫛の火』がよぎる。冒頭の「これからは自由だ」という言葉と海を背景にした草刈正雄の後ろ姿だけでも必見だと思う(そして妻の喪に服しているかのような花束)。ワケあって独身という和久井映見の喫茶店が素晴らしかった。彼女の手からウイスキーのグラスを外させ、よろめく彼女を支える草刈正雄の枯れながら失われない気品と色気には泣く(泣いた泣いたばかりだがこれほど泣くのは『蝶の眠り』以来かもしれない)。外から聞こえたクラクションに反応して店を出た草刈正雄の、扉を閉めて窓から見える影の美しさには西部劇を感じる。そして和久井映見草刈正雄の描く絵の中で流す黒鉛の涙がなぜかたまらなく魅力的だと思う。