『肌蹴る光線 ーあたらしい映画ー』vol.2

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『ものかたりのまえとあと』展 青柳菜摘/清原惟/三野新/村社祐太朗 | nobodymag

 

『肌蹴る光線 ーあたらしい映画ー』vol.2へ。

どちらも「少女たち」の映画かもしれないが『暁の石』の工員らしき男たちは(少なくとも『ひとつのバガテル』以降に見た作品から)消えた存在かもしれない。共同監督クレジットと関係あるかもしれないが、人物たちの佇まいは変わった。ただ音楽の趣味や催眠効果さえあるリズム、物語の行ったり来たりして先へ進めているかわからない停滞感などは引き継がれている。おそらく監督だけではなく複数の役割を(少なくともクレジット上は)負っている作家にとって、同時にユニットの存在は大きく、『暁の石』共同監督の飛田みちるとの「飯田春子」というユニット名や(『暁の石』は監督・脚本・撮影・編集:清原惟、監督・録音:飛田みちるとクレジットされる)、『わたしたちの家』ほか脚本の加藤法子といった名前は気になるし、一方で撮影をイラストレーター(『ひとつのバガテル』出演もする中島あかね)が担当した『網目をとおる、すんでいる』であったり、クレジットから製作スタイルが気になってくる。

『暁の石』の父親も感じ悪いかもしれないが、再見した『ひとつのバガテル』の間借りしている老婆と孫の感じ悪さは結構インパクトある。祖父江慎トークにて「感情を表に出さない芝居」への評価あったけれど例えば『網目をとおる、すんでいる』の女の子二人と『わたしたちの家』の感じ悪いマスターとか、どの作品でも何考えているかよくわからない菊沢将憲とは相当に違う。『わたしたちの家』の喫茶店のマスターも店の雰囲気に対して非常に嫌な感じの存在だったり、逆に母の再婚相手に対するヒロインの敵意は(少し笑えるくらい)大きい。感情を出さなくても伝わる相手、伝わらない相手の距離は大きい。

わたしたちの家』は別に「わたし」だけのものではない点が大きいけれど『ひとつのバガテル』のヒロインが最終的に住処を追い出されてどこへ向かうかは謎めいている。『暁の石』最後の電話は、かなり意味合い違うけれどウディ・アレンのオチがよぎるくらい、「この後どうするんだよ」とツッコミたくなるところもある。