『独房X』(監督・脚本 七里圭)

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伯林漂流東京

 

泉浩一生前追悼上映会へ。『伯林漂流』ほか監督作は見逃す。

出演作の七里圭監督『独房X』。近未来を舞台にしたエロ版『羊たちの沈黙』のはずが、まるで収容所が舞台のアングラ劇を記録しているようだった。『サロメの娘』シリーズ、特に複数の舞台を行き来しながら(おそらく)娘が母のことを語っている『あなたはわたしじゃない』を思い出す。ひまわりも出てくる。未見の新作『入院患者たち』への期待も高まる。

原サチコの登場にはクリストフ・シュリンゲンズィーフ特集との縁に驚く。だが『独房X』はシュリンゲンズィーフのパフォーマンスの記録とは真逆の、何一つ気持ちの休まらない視線の迷宮と化していた。

鑑定する側が視線に晒され、相手の記憶を探るはずが自らの過去を晒す。モニターに映された女囚の映像に挟まれる、彼女の回想ともつかない謎のフラッシュバック。誰が見ているイメージかわからない。写真が誰の記憶を証明してくれるかわからない。牢の手前か、中か、どちらにいるのか不安になる、格子が張り巡らされたような画面。ビデオに記録された「2003」という数字が製作年とズレている。本作よりパフォーマンスの記録だと割り切って見やすい『あなたはわたしじゃない』にはない不穏さが満ちている。彼女が収容所をさまよう映画として、安心して謎を追うためにも明確にさせたい時制や記憶や視線が揺さぶられ続ける。

それにしても女性の身体が目に焼き付く。格子や窓越しに見える女囚たちから漂う倦怠感。縛られた肌に食い込む糸。女装した看守(今泉浩一)。彼に鞭うたれる、もう若くない所長の肉体。何よりヒロインの濡れた肌をタオルで拭う時間の長さは(上映後のトークによれば尺の都合もあったらしいが)省略の無さが生々しい。映画の観客として彼女の裸体を眺めれば眺めるほど、本作の視線に自らも巻き込まれていく怖さがある。彼女たちの肉体へ視線がまとわりついているようで、いきなり女たちが画面から消える時、彼女たちの収められていた空間の魅力に気づかせる。誰も座っていない椅子に彼女たちの痕跡を見て興奮するわけでもなく、椅子は椅子としてエロティックに見える。

七里圭監督の映画から『独房X』の女たちの裸体と視線の複雑な絡み合いが弱まって、代わりに音を残すように感じる。山本直樹の『のんきな姉さん』から三浦友和梶原阿貴にセックスをさせず、「同じことは繰り返さないんだよ」という声の優しさを残す。『眠り姫』から寝れば寝るほど膨らむ肉体を映さず、眠れずにやせ細る肉体をFAXされてきた線として見せ、男女の絡み合い喘ぐ声が官能的なイメージを呼び起こし、目覚めの叫びが逆に何かを思い浮かべようという時間を断ち切る。『あなたはわたしじゃない』の青柳いづみの身体と声の繋がりには、どちらが先にやってきたのか、どちらが置いていかれて消えてしまうのかと緊張もする。そして彼女の身につけた花柄のワンピースが記憶に残るように、ひまわりによって舞台と模様が繋がっている。『独房X』のバーコードをつけた囚人服とは違って、彼女たちの衣装は身体への視線を空間に散らす。

いつか会いたいと望んでいた、しかしまだ会ったことのない「母親」(原サチコ)の写真は、『サロメの娘』シリーズの長宗我部陽子にも通じていて年齢不詳だ。記憶の核になるようで、最も危うい地盤であり、映画内の時間を狂わせる物体になる。女性そのものでありながら、彼女たちの座っていた椅子でもあるような、既に痕跡と化しているような、「母親」と「娘」とは「時」を意識させるものであって、七里圭監督の映画では空間における女性の身体とぶつかり合う、不安を呼ぶ仕掛けかもしれない。

 

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