三鷹SCOOLの『ものかたりのまえとあと』読み上げられる声、画面上に浮かぶ文字など、言葉に対する感性がそれぞれにあって、そのために画が弱くなって見える時もあるのが、かえってイメフォフェスの後だと心地よいんだろうか。
どの作品も嫌いじゃないけれど、ただ作品単体で記憶に残るかは怪しい。清原惟『網目をとおる、すんでいる』が一番面白かったけれど、網目越しのタッチに音がない時(そこだけじゃなく同録のないシーンだったが)『音日記』の球体の落下に音が消えているところを思い出した。

イメフォの『愛讃讃』は「お姉ちゃん」の記憶と8mmに対して字幕と音声が「必要」はわかっても説明になってしまっているようで、そのあたりをSCOOLの作品と比べて素朴だと思えばいいのか?と疑いながら見ていたけれど、カラオケに引き込まれる。プロジェクターから「お姉ちゃん」へ投影されるカラオケのビデオにセットの字幕。この字幕がフィルムに刻まれてから、あのカラオケの記憶に作品そのものが取り込まれていくようだった。