映画を見ている間に寝てしまうのは珍しくなかったが、最近は映画館の暗闇で字幕を読むだけで、体力を奪われて寝てしまう。
『女と男の観覧車』はぼんやりした頭で力尽きるように付き合うのが丁度よかったかもしれない。映画とはやめられない火遊びだと言わんばかりだった。老いたアレンとストラーロの出会いに全く違和感無しという贅沢を許されているんだから、生き残っただけ大儲けってくらい、死んでいく人々を思うメロドラマだった。ジム・ベルーシが出てるからと相変わらず『ツイン・ピークス』を引き合いに出したくなった。それでもアルトマンやファスビンダーの『ケレル』とか、いやデパルマと比べても物足りなく感じるとかTwitterしたくなるのは、最後のナイフが弱いからか、若い女の惨たらしい最期をダメ押しで突きつけてほしかったからか、筋が決まりきっているからか、それともこの足りなさが老いてもなお余裕の証ってことか、僕がよくわかってないだけか。ただホン・サンスの持ってないものがウディ・アレンにはあって、でもアレンは持っているから逃げ道になっているんじゃないか。ベルトルッチのいう「車椅子の目線」、『汚れた天使たち』の地下室を、観覧車の見える窓辺より見たいけれど、別にウディ・アレンの映画ってそんなものではないか。