北島敬三のポートレイトに引き込まれた。撮られたのがどんな人なのかどころか、撮ったのかが誰なのか、いつ撮られたのか、などなど様々な情報が一掃されて背景が見えなくなって初めて、わずか3,4点の写真が強度を発揮する。そして3、4枚のショットの間を隔てる何かがあり、写真そのものは誰のことも何も物語らないということを突き詰めた先に、写真によってしか辿り着けなかった、目に見えない世界の存在を予感する。去年のトーマス・ルフを見ておそらく初めて本気で写真を面白いと思えた。やはり写真も文章も映像も今は腐るほど溢れかえっているという事実と向き合ってこそなのだと思う。