4/30の夜勤明けはアドルフ・ヴェルフリと斎藤大地特集にした。本当は小田香特集にしたほうがよかったのかもしれないが、行いが悪いからか記憶から消えてしまった。やはりヴェルフリだけでなく小田香も見たほうがより充実できたかもしれないがヴェルフリと斎藤大地を見れたのは良かった。普段見るものとは違うものを見れたという気がしたからだ。斎藤大地も黒画面とフリッカーの作家と言ってしまえば代わり映えはしないかもしれないが、たとえ人にはおなじようなことをいつまでもやっていると言われようと何しようとやりたいことがある、という気分に浸る。ヴェルフリのように文字も音符も数式も色彩も言語になるのだ。斎藤大地のように誰が撮ったのかもわからない画が点滅し黒画面が画面として引き締まっていくほどに言葉足らずであっても映画になるのだ。そのどちらにもリズムがある。