夜勤明け。

夜、sora tob sakanaの定期公演を初めて見に行く。あっさり終了。

時間があったのでスコセッシ『沈黙』。「神様はつらい」ならぬ「司祭様はつらい」というか。『シャッター・アイランド』に近く、閉じ込められて終わってしまう映画ではある。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』以上に、いよいよただただ見入るしかないという領域。透明感さえある。しかし今回も合理的な、ひたすら世の流れに屈していく他なく追い詰められていく。主人公は自分で自分に言い聞かせ続ける。その変化を、飲み込もうとする波を見せることによって、かつてあったキリスト教徒たちの受難でなく、いま現在信仰も何も関係なくうちひしがれる映画にしたのは流石だ。ついに踏み絵から言葉が返ってきてから、しかし彼自身から送る言葉も手紙もなく、新たな語り手が締めくくることになる最後、窪塚の退場とあいまってギリギリの可能性があるのかもしれない。

それにしても、やはり役者の映画だ。いま思えば残酷なくらい先の道筋が決まってしまった時のアンドリュー・ガーフィールドの水辺での笑いに尽きる。予想通りイッセー尾形浅野忠信はサディストの輝きに満ちていたが、讃美歌を歌う塚本晋也も自作での痛めつけられ方とはまた別に美しく、登場しても退場しても一々はまる窪塚洋介は惨めさそのものを体現しているようであっても最高だ(最後にはグッとくる同伴者である)。火あぶりになる窪塚の妹(妻?)と、対称的な末路を迎える小松菜々のことも忘れられない。そこまで好きでない加瀬亮の死に様には「待ってました!」と興奮してしまった。いよいよ司祭が囚われていく、それ自体目を背けたくなる悲惨な場面とわかってはいるのだが…。一服の清涼剤になる片桐はいりは偉いと思う。そして牢屋と言えば音の映画、沈黙と言えば音、という具合だが一番耳に残るのはイッセー尾形につきまとう蠅の音。