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次回20日15時~上映@フィルムセンター

 

『人間のために』(三浦翔)は学生映画的な芝居から映画内演劇、パフォーマンスの撮影とインタビュー行為が並べられていたが、同じPFFでの上映作品の中からは(2プログラム、計5本しか見てないが)『DRILL AND MESSY』(吉川鮎太)と比べられるかもしれない。この2本はパフォーマンスの撮影、そこに生じる『人間~』の(テーマと並走するためかもしれない)早さと『DRILL~』の遅さと、そして「痛み」の問題において結び付けられると思う。

『DRILL~』にはブライアン・デ・パルマを思い出す要素がある。映画内映画、映画製作に携わる主人公、欲望するイメージに対する切り返し、女性との屈折した距離、そしてパーティーとドリル。本当にデ・パルマを目指していたなら、(それが単にハッタリやヘンテコの域に留まってでも)何かこれだけは見せたかったという画が弱かった気はする。

PFFで5本見たうち『人間のために』は唯一長さを感じなかった作品だが、他はあまりに時間に対するリズム感覚が弛緩している気がする(なかなか終わってくれない、というと凄く嫌な言い方だが、その長さを良しとしてしまっているんじゃないかと疑いたくなる)。しかし『DRILL ~』は弛緩したリズムが主人公男女の作品製作(「破れタイツ」のパフォーマンス)と、その男女の距離が接近する物語と相まって(なのであのラストは倒錯した貫通として、もしかしたらデ・パルマよりも『スペース・バンパイア』なのかもしれないが)、さらにパーティーでの凶行(というより直後の「なかったこと」にする転調)が悪くなくて、なかなかクセになる。見ている間はワクワクしたが、最後の呆気なさが結果的に「たんにグダグダなだけだったんじゃないか」と、もう少し先を見たくなった。たしかにラストの女優のアップは「美しい」と言いたくなるが、この監督の映画が本領を発揮するためには更にデ・パルマ的な屈折したイメージが必要だったんじゃないか(多くしても園子温みたいにロクでもないことになりそうだとしても、やや血糊が少なく感じた)。そのための場がどこにあるのか、わからないのが残念だけれど(デ・パルマみたくヨーロッパに渡るのか)、むしろ収まるべきところに収まってほしくない魅力がある。要するに成功してほしくないということだけれど……。今更デ・パルマがどうの盛り上がっている自分が一番退屈な人間かもしれないということは、さておき。

 

ただ余計なことかもしれないが、『DRILL~』は併映された『私の窓』(渡邊桃子)、『山村てれび氏』(阿部理沙)と比べて抜きんでた作品というわけではなかったとも思う。『私の窓』の「赤」の使い方は『DRILL~』の血より繊細だったと思う。『山村てれび氏』のテレビとの電車デート、日陰になった車内でブラウン管から輝きだすイメージは三本中最も美しかった。