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『太陽』(入江悠)を見た。抽選の行われる夜、門を越えて車を待つ門脇麦と、FAXが送信されてすぐに結果が返ってくるまでの役場のワンカット、続いて彼女が母親の車に乗って鶴見辰吾と室内に続くシーン、もう一方に門の手前で抽選結果をめぐって繰り広げられるやり取りとが切り返される。おそらく演劇に近い時間が二つの場面を並行して切り返されるあたりから、演劇と同じ物語の映画化のような単純なものではない、演劇を記録しようという試みが軌道に乗っていく。門の後景の闇も、複数の人物をなるべくフレームに収めようとするカメラも、苦手だった古館寛治の芝居も含めて、演劇の記録として見ると、それぞれのパーツの組み合わせとして受け入れられる。奥行きの深い画面が必要な映画であって、しかし後景にいる村人たちの動きが予想を裏切ってくれず、いくつかの風景ショットが美しすぎる気はするし、赤坂さんの言うように音響の点も面白くはなかった(バイオリンのカットを見ると、ラッパーたちの映画は撮ってきたけれど本当に音楽には興味がないんだと思う)。溝口がやりたくても実現不可能だとわかっている監督の映画で、演劇の記録としてフレームの限られた空間での役者の動きを追うことによって、ようやく一歩踏み出す。どうしても130分の尺が役者、スタッフ、物語によるのかわからないけれど全編乗り切るには長く感じてしまうのも、溝口の反射や、リヴェットやホウ・シャオシェンの存在を考えるきっかけになる。

SFとしてはチープな装置も演劇の記録と思えば(積極的にではなくても)受け入れられるけれど、それでも門番の吸血鬼の手、あえてじっと見ていると粗く見えかねない仕掛けでもある、画面の中の小さな一点へ視線を集中させるにいたる持続に引き込まれた。色気もなく美しさも欠いているけれど、その手から浮かぶ煙が、その後のこれまたチープさを隠しきれない手術室での、窓から朝陽の差し込む寝室でもがくノスフェラトゥのごとく横たわる女性の悶えるカットへ響くと思うと、さらに良い。

 

アンソニー・マン『脱獄の掟』のジョン・オルトンによる奥行きの深い画面が、まるでウェルズのようでもあって、特にかつて主人公を裏切った男がパーティ会場で女に暴力を振るうシーンでの、画面外での音の使い方が恐ろしい(『太陽』に欠けていた要素だ)。終盤の銃撃戦でも混乱を引き起こしかねない魅力があって素晴らしかった。脇から入ってきては主人公の代わりに警察へ連れていかれる男たちも、あえて『ウィンチェスター銃』とまではいかないあたりも含めて面白い。