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『にじ』(鈴木卓爾)、二回目。ただしフィルムで見たのは初めてだと思う。「ロールチェンジ!」があるためか、その後の雰囲気が変わった気もするし、繋がっていても変化は感じなかった気もするし、ともかくこの作品のどこへ向かうか、作り手本人もわかっているか怪しい映画の不安定さがあった。それでも以前は、ある種の冷めた視点が映画を古びさせていない例のひとつだと思って見たし、その古びなさは変わらないけれど、やはりこれはこれでかなり狂った映画だった。特におばさんの撮影中、いきなり溝に倒れこむ早さは凄い。『ジョギング渡り鳥』を見た後だと、このカットごとに「NG」のような、「失敗」か「成功」かの概念が存在しないまま積み重ねられていくことが、映画における「成功」したカットという概念に対する冷やかさよりも、果てしなさによる没入として受け止めた(リュック・ムレの「登山」が、抽象化されたトイレの空間が、もうほとんど無償で果てしなく狂って思える時と受ける印象は近いかもしれない)。そして自撮りの方法が、映画を撮っている人間の姿も映していく方法と重ねて考えられるし、列車と水辺が『ゾンからのメッセージ』終盤と繋げたくなる。『ワンピース』シリーズの『種をまいたのはばぁば?』のようなフレーム(上下左右)への意識から、カメラの裏側へ、『ジョギング渡り鳥』は冒険していき、『ゾンからのメッセージ』にて画面の奥へ向かっていくということなのか。