これまで見逃してきた『私刑』(中川信夫)、ようやく神保町シアターで。しかし眠気に襲われ、ところどころ気を失う。残念。それでもタイトルから勝手に想像していた映画とは全く別の印象を受けた。いや、誰が見ても予想通りのものにはならないと思う。まさか自動車の映画だとは思わなかった。繰り返し登場する自動車という装置にこめられた仕掛けも一度見た限りでは追い切れなかった(しかし酔っ払いに運転させなくてもいいのに)。だが自動車の映画というだけではとても言い表せない。少年が池部良になって戻ってきて、久我美子がバンドを引き連れて登場してからは見直したい(射的場での大胆な鏡の使い方、その後の二人並んで歩くカットでの久我美子と他の女たちとのやり取りに、映画の自由さを感じる)。

虞美人草』を見た時に、たえず二つ以上の場所での出来事を行き来しながら語られる映画だと思ったけれど、本作もいくつかのシーンを並行して繋げることで視点を変化させていた。たとえば東野英治郎による拷問が実際におこなわれているのか、直後のあばら家で目覚めたカットでの花井蘭子の夢なのか、どちらでも解釈できるように繋がっていたと思う。ここでの女の悲鳴と、鶏の鳴き声をダブらせる音響が恐ろしかった。ほかにも東野英治郎嵐寛寿郎、どちらも手や顔、転がる石などのアップを見て死んだと思いきや、ふつうに生きているという見せ方も、変といえば変だ。

一家を追われた嵐寛寿郎の名前を、木によじ登った跡取り息子が糸電話か何かで呼び続けているのを、布団に入った親分が聞いているカットも、追う側、追われる側の視点が行き来して描かれる前半部分のなかで妙におかしくて印象に残った。