読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『FRAGILE DO NOT DROP KEEP DRY』(監督:上田真之 撮影:kae sugiha)

喫茶茶会記の『 三 -san- 』というイベントで上映された上田真之さんの『FRAGILE DO NOT DROP KEEP DRY』からは、知人友人の作品として刺激を受けた。
嫌われそうな言い方をすれば、僕は仕事のせいでシャンタル・アケルマンの『ジャンヌ・ディエルマン』を見逃した(以前見てはいるけれど)。そしてこの映画をアケルマンと並べられうる作品だと言う気も全くないけれど、しかしこの映画にはアケルマンへと通じる「反射」が映されていたかもしれない。
「知人友人の作品として」。映画というフレームには、その外でこれまで映されてきたもの、いまよそで映されているものへの意識を、良くも悪くも忘れさせてくれる時がある。
 
この映画で上田さんは自ら出演して、自ら考えた場所を行ったり来たり辿っていった。
はじまりは上田さんのような、映画を見ていて、上映していて、さらに製作にも関わっているような人ならば出来て当然であって、しかしそれ以上のものは感じさせない順当なショットが続いた。ただ、その合間の上田さん自身のアップが、この映画を上田さんのものとしていいのか戸惑わせるものがあった。単純に、そのカットが入ることに違和感はないけれど、しかしその表情からは映画そのものがどのようになるかの確信が読み取れなかった。
しかしいつの間にか、この映画に単純な物語ができていた。そのことに素直に感動した。これは前作『携帯電話はつながらない』での余白が余白でしかなく、観客の入る隙を与えているようで、結局作り手の上田さんと同じ読みしかできない居心地の悪さとは、別物だと思う。
先ほどの違和感はむしろ消えることなく、上田さんの演出家としての影は薄れていく。上田さんは車道の、車線と車線の間、中央を走って画面奥、太陽の輝く方へ消えていく。カメラは上田さんの走る側とは反対方向の車線の側にいて、そこまでリスクのある距離ではないものの、カメラへ向かってくる自動車が目につく。ここでの撮影者と演出であるはずの上田さんとの間に広がっていく距離、その位置関係が何らかの物語を駆動させ始める。イベントそのものの企画者であり、カメラマンの杉原さんの存在が印象に残る。撮影する場所そのもの、(そこまで言っていいかわからないけれど)ショットの連なりは上田さんが決めているけれど、その場で何を撮るのか、画面の奥へ向かう視点は杉原さんにあるのだろう。この関係が、映画を美しくする。ハチ公の後ろ姿に、それを撮影する無数の人だかりを捉えたカットは決して珍しくも、決定的なものでもないけれど、そこには杉原さんが捉えようとした視点と反射が映画に刻まれている。こうした切り返しを見ると、ひどく初々しい気持ちになれる。
杉原さん、上田さんの撮影と演出をめぐる関係性は、杉原さん自身の職場であり、杉原さん本人が姿を現す撮影スタジオにおいて、いよいよ映画の中に物語を感じさせる。杉原さんとも親交の深いだろうダンサーの尾身美苗さんが、なぜだか上田さんと夫婦のような関係なのか、それともただ演じられているのかわからないけれど、ウエディングドレスを着た写真の撮影を始める。結婚、写真撮影、別れ。そこに小津を連想できるかもしれないが、それはこの映画の美点でも汚点でもなく、何か避けがたいものだと思う。むしろ目を惹くのは、スタンダードだった画面が上下に分割されることであり、画面サイズが横長になりバランスを欠いてしまっているからこそ、映される尾身さんと、それを撮る杉原さんとの表情を切り取った一連の映像が不思議と可愛らしく記憶に残るのかもしれない。
スタジオからいつの間にか、上田さんは抜け出していた。結婚というイメージからの逃走と、その後の車内で段ボールを抱きしめて寝ている上田さんが、こちらの童心を刺激する。映画全体の逃走というイメージもまた、やや単純に物語として形になる。
いくつか驚く瞬間、もしくはこの行ったり来たりのなかで、何かを起こそうという意思があまりにはっきりしていて、たしかに嫉妬をさせる画がある(動物と子どもたち)。光への繊細さをやや欠いている気はするし、風景は尺を伸ばすだけになってしまっているかもしれない。この映画の、上田さんの行き着く釣り堀で、映画の全体を貫いていた水面への「反射」でもって締めくくられる。その水面という反射の境界を歪ませて針に何かが喰いつく、もしかしたらありえたかもしれない旅の着地点への感動よりも、あえて釣り堀での待機で終える。釣れる気配はない。この気配のなさは上田さんだろうが杉原さんだろうが誰であろうが辿ることのできる安易な物語の道筋に過ぎないのか(偶然性の欠如)、それともこの映画自体に残された、撮る側、撮られる側、見る側、三者が共有できる美しい余白なのか。緩慢な時間の流れに身を任せるほかない。