朝から京橋に移動してドトールで勉強。過去問。漢方処方製剤の名前が記憶できていない。痔、婦人薬が特に危ない。日記に書いているように勉強をあまりできていないのが理由だが、半年以上やってきたのに……とも思う。一々書くのが面倒なのでノートを二回分書いてからは、見ながら小声で暗記しているが、たぶん面倒でももっと書くべきだった。悲しいくらい頭から抜けていく。残り一ヶ月と12日間。ようやく不安になる。しかしこの頭で合格したとしても使い物になるのだろうか。

こんな調子なので『新宿泥棒日記』はイメージフォーラムで再見したのでパス。乳房の傷跡とか、見直したかったが。

最終日のシネマブック展には行く。購買意欲を刺激される展示だった。物販スペースがあったり、古本屋街で開催されていたら財布の中身がヤバかったかも(一冊Amazonをポチった)。評判通り生原稿は綺麗な字も汚い字もあるけれど、そもそも原稿用紙に修正含めぎっしりと映画のことを書く行為自体に(当たり前のことだとしても)文章の質が支えられていたんじゃないかと思う。

16時『マックス、モン・アムール』(大島渚)。何度目かだけど、ただただ涙ぐましい。大島がフランスで撮ったということではなくて、猿も人も、ほぼすべてに(しかし病院の母親のことを忘れてた)。その涙ぐましさは、猿と一家が丸テーブルを囲うまでの過程に、鳩を売る少年や、在日朝鮮人Kの姿を忘れさせないことにあるのだろうと、やはりKさんの大島渚論が待ち遠しくなる。『悦楽』の中村賀津雄に最も近い気がするアンソニー・ヒギンズを見て、『月の砂漠』(青山真治)を見直したくなる。オペラ座を抜け出て、妻の元へ自動車の走る夜道が今回最も感情を揺さぶられる。その後のヒギンズの椅子の座り方。ああいう姿にとても惹かれる。ピエール・エテがトランクケースから書類を出すのを見て、ちょっと楽しくなる。

大島渚の映画には必ず涙ぐましい人物、もしくは人物たちの行動が登場するとは思う。