消失する回路

『消失する回路』
「身体の内に別人格を意識する女」が「身体の外から人間の生活を覗く男」を探すこの映画では、当然男の立場と観客が重なりうる。女、男、観客という三者の見る行為が、ある種の無力感や快楽などを経て、見つめ返されるという恐怖が生じる。またこの三者の視点の入り混じった結果が、この妙に視野の狭くなった世界を生きているような「静止画と動画を同居させた映像」による室内と夜景になっていると思う。
「静止画と動画を同居させた映像」の加工された画面そのものより、その女と男が不穏...に近づいていく様と、そこに観客を巻き込んでいくような男女の声による語りと、その物語るのためのショットの連なりにむしろ惹かれる。ほとんどの動きは光、水、影によるものだが、デジタルマスキングの結果か、加工されたことで画面から自然さが(廣瀬純氏の言い方ならば「風」が)かなり排除されてコントロールされている。その点でアニメに近いのかもしれないが。
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