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ネットばかりやって夜更かしして、せっかくの休みだから早く起きようと目覚まし設定したが、結局早すぎて起きれず、気づけば14時過ぎていた。「朝陽を浴びた方が(いろいろ)良い」という話を思い出して、それだけでなくいろいろできないと思うと悲しくなる。

DVDで『女教師M(ヒバリ)』(いまおかしんじ)。『カンウォンドの恋』のホン・サンスを見て思い出したのはいまおかしんじだった。

その後、ようやく外出して『パリ、恋人たちの影』(フィリップ・ガレル)。もう物語る個人の歴史なんかないと言わんばかりに嘘をつく映画。これまで以上に古典映画的に装われた語りを経て、男女が別々の部屋にいての切り返しには、物語そのものが薄らいで消え入りそうな感覚さえ漂う。ここで別れちゃったら、もう語ることがなんじゃないの?と驚いたら、本当に少しして終わってしまった。あっという間だった。それでも編集台の前の手を見ると、斜に構えては真似できない熱が残っている。やはり二人じゃなきゃ駄目だ、二通りのやり方さえあればまだまだ行ける、というカップルの映画なのか。単に直前に見たいまおかしんじも負けず劣らずヤバかった。

夜勤明け。

夜、sora tob sakanaの定期公演を初めて見に行く。あっさり終了。

時間があったのでスコセッシ『沈黙』。「神様はつらい」ならぬ「司祭様はつらい」というか。『シャッター・アイランド』に近く、閉じ込められて終わってしまう映画ではある。『ウルフ・オブ・ウォールストリート』以上に、いよいよただただ見入るしかないという領域。透明感さえある。しかし今回も合理的な、ひたすら世の流れに屈していく他なく追い詰められていく。主人公は自分で自分に言い聞かせ続ける。その変化を、飲み込もうとする波を見せることによって、かつてあったキリスト教徒たちの受難でなく、いま現在信仰も何も関係なくうちひしがれる映画にしたのは流石だ。ついに踏み絵から言葉が返ってきてから、しかし彼自身から送る言葉も手紙もなく、新たな語り手が締めくくることになる最後、窪塚の退場とあいまってギリギリの可能性があるのかもしれない。

それにしても、やはり役者の映画だ。いま思えば残酷なくらい先の道筋が決まってしまった時のアンドリュー・ガーフィールドの水辺での笑いに尽きる。予想通りイッセー尾形浅野忠信はサディストの輝きに満ちていたが、讃美歌を歌う塚本晋也も自作での痛めつけられ方とはまた別に美しく、登場しても退場しても一々はまる窪塚洋介は惨めさそのものを体現しているようであっても最高だ(最後にはグッとくる同伴者である)。火あぶりになる窪塚の妹(妻?)と、対称的な末路を迎える小松菜々のことも忘れられない。そこまで好きでない加瀬亮の死に様には「待ってました!」と興奮してしまった。いよいよ司祭が囚われていく、それ自体目を背けたくなる悲惨な場面とわかってはいるのだが…。一服の清涼剤になる片桐はいりは偉いと思う。そして牢屋と言えば音の映画、沈黙と言えば音、という具合だが一番耳に残るのはイッセー尾形につきまとう蠅の音。

夜勤三日目。疲れた……。

夜勤までなぜか「冬のリヴィエラ」を繰り返し聞いていた。

『徳山大五郎を誰が殺したか』の長濱ねる、長沢菜々香の出ているシーンばかり見直すなど。

夜勤二日目。それ以外は特になし。

15時近くまで寝る。

夜勤前の寒さや面倒さに負けてガレル新作逃す。

MUBIのセルゲイ・ロズニツァ『THE SETTELEMENT』を見る。不自然さが癖になる。

これから夜勤。

mubi.com

d.hatena.ne.jp

6時頃帰宅。

イメージフォーラムにて『夜風の匂い』(フィリップ・ガレル)。

早稲田小劇場にて『CHITENの近現代語』。映像もしくは再生される音源ならば容易におこなえるコラージュ、モンタージュ、一時停止、反復などを舞台(密室)での上演に置き換える行為の意義こそ地点の面白さだと思う。さらにいえば上演を見聞きすることも含まれるので、単純に台詞ごとにカットを割るような舞台中継で見たら面白さも意義も途端に失われてしまう。発声する側、それを見聞きする側、どちらにとっても返ってくる何かがある上演。特に言葉が発声によって音楽と意味とに引き裂かれるような状況が、いくつもの映像をオーバーラップさせたようでもあって、映画にも返ってくるものがありうると思う(何度も言及するのは気持ち悪いが、ゴダールやリヴェットのリハーサルと結びつけた『人間のために』は試みの一つだ)。

DVUで書いた文章を読み返して、困ったことに「あの頃のほうがよかったな」と思ってしまった、ついに。

夜勤明け。

少し寝てから地点『ロミオとジュリエット』。相変わらず誰が誰を演じているのか(そもそも演じようとしているのかも)わかったような、わからないような勢いで始まって、知ったかぶりしてベケットチェーホフの混ざったと言っていいのか、幽閉空間で延々動いたり止まったりする狂人もしくはゾンビを見るような(その点、ゴダールだけじゃなくてベロッキオやソクーロフを見ていてよかった、という気にもさせる)。ジュリエットらしき女優の奇声が耳を離れず。斜面を舞台に横になっては転げ落ちたり意味不明の反復運動を始めたり、『ミステリヤ・ブッフ』あたりからか、前回の『かもめ』でいよいよ「笑っていいんだ」と肩の力を抜けて見れたが、もはや「俺ら東京さ行ぐだ」レベルで台詞が益々取っつきやすく耳を離れず、それでいてロミオもジュリエットも倒れてからの、どっちが死んだかどっちも死んだか生きているかもわからない、亡骸を弄んでもいるような、名付けられた像を引きづりまわっているような、かと思うとモニュメントのように壁に巨大な影が映る仕掛けまで、やたらめったら面白く、それでいてどんどんと不気味で陰鬱な予感がして、しかし見終わると爽やかという、また最初から言葉の一つ一つをちゃんと受け取りたくて見直したくなる。『おもしろければOKか?』(三浦基)読んだ人全員が気になりそうな一番有名なシーンに行き着くまでの解体に立ち会えただけでも良かった。

合流した知人友人と飲んでいるうちに終電を逃し、久々に朝までカラオケ。楽しかった。